『VIVANT』最終回で最大の謎として残されたのが、ノゴーン・ベキの生死です。
乃木憂助は実の父親であるベキに銃口を向け、引き金を引きました。
さらに、その後には上原史郎の自宅が炎に包まれ、ベキ、バトラカ、ピヨの3人が死亡したと受け取れる展開が描かれます。
ところが、ここで気になるのが乃木の最後の行動とノコルへの言葉です。
乃木はノコルから「父親の墓をバルカに建てたい」と聞かされると、
「皇天親無く惟徳を是輔く。花を手向けるのは、まだ先にするよ」
と答えました。
なぜ、乃木は「まだ先」と言ったのでしょうか。
そして、なぜベキの死を直接確認する描写をあえて見せなかったのでしょうか。
今回は『VIVANT』最終回を改めて振り返りながら、ベキ生存説につながった伏線と、乃木が父に下した本当の決断を深掘りします。
※この記事は『VIVANT』最終回のネタバレを含みます。
結論|ベキは「死んだ」のではなく、死んだことにされた
まず結論から言うと、最終回だけを見た場合、ベキの死亡を完全に断定することはできない構成になっていました。
乃木は確かにベキを撃っています。
しかし、乃木にはこれまでにも相手の急所を外して撃つ技術が描かれていました。
そしてベキたち3人の遺体についても、視聴者が本人だと明確に確認できる形では描かれていません。
さらに決定的なのが、乃木の「花を手向けるのは、まだ先にするよ」という言葉です。
この一言があることで、
「乃木は本当に父を殺したのか?」
という疑問が最後まで残るのです。
実際、放送当時から「ベキたちは生きているのではないか」という考察が多数出ていました。(スポーツニッポン)
そして現在では続編によって、ベキの生存そのものは明らかになっています。
つまり、2023年の最終回は単なる「父親を殺した息子の物語」ではなく、乃木が父を救いながら、別班としての任務も成立させるための二重の決断だったと見ることができます。
乃木は本当にベキを殺すつもりだったのか?
ここが最も重要なポイントです。
乃木はベキを撃つ直前まで、父親としての感情と別班としての使命の間で揺れていました。
ベキはテロ組織「テント」のリーダー。
一方で乃木にとっては、40年ぶりに再会した実の父親です。
しかもベキは、乃木を捨てた父親ではありません。
過酷な環境の中で生き延び、バルカで孤児たちを救いながら、家族を守ろうとしてきた人物でした。
もちろん、テロという手段を選んだことは許されるものではありません。
だからこそ乃木は、
「父親としてのベキ」
と
「テロ組織のリーダーとしてのベキ」
を分けて考える必要がありました。
そして最終的に乃木が選んだのが、
ベキを社会的には死亡させることで、別班としての任務を完遂しながら、父親の命を救う
という方法だった可能性が高いのです。
なぜ乃木は「急所」を外したと考えられるのか
乃木の射撃能力は、作中でも何度も重要な意味を持っています。
乃木は相手を殺すことだけが目的ではなく、必要に応じて急所を外すことができる人物です。
だからこそ、最終回のベキへの銃撃も、
「殺すための射撃だったのか?」
という疑問が残ります。
実際、ベキたちの拳銃には弾が入っていなかったことが明らかになっています。
つまり、ベキたちは乃木に撃たれることをある程度覚悟して日本へ来ていたのです。(スポーツニッポン)
ここが父子の関係を考えるうえで非常に重要です。
ベキは、自分が乃木に撃たれることを受け入れていた。
しかし乃木は、父親を殺すことまでは選ばなかった。
この構図なら、あの銃撃は「殺害」ではなく、
父親を死んだことにするための最後の芝居
だったと解釈できます。
「花を手向けるのは、まだ先にするよ」の意味
やはり最大の伏線は、この言葉でしょう。
ノコルは乃木に、ベキの墓をバルカに建てたいと伝えます。
普通なら、父親が亡くなったのであれば、
「分かった」
「ありがとう」
などと返しても不自然ではありません。
ところが乃木は、
「花を手向けるのは、まだ先にするよ」
と答えます。
この「まだ先」という表現が非常に意味深なのです。
解釈① ベキが生きていることを示した
最も分かりやすい解釈です。
「墓に花を手向ける」という行為は、亡くなった人への弔いを意味します。
それを「まだ先」と言うのであれば、
今はまだベキを弔う必要がない
という意味にも受け取れます。
つまり乃木は、ノコルに直接、
「父さんは生きている」
とは言えない状況だった。
だからこそ、遠回しな言葉で真実を伝えたのではないか。
この解釈なら、乃木の表情にも納得できます。
解釈② 乃木自身が父親の死を受け入れられなかった
もちろん、別の読み方もできます。
「花を手向けるのはまだ先」という言葉を、乃木自身の心情として考えることもできます。
40年ぶりに再会した父親。
その父親を、自分の手で撃った。
そんな乃木が、すぐに父親の死を受け入れられるでしょうか。
むしろ、
「まだ父を弔う気持ちにはなれない」
という心理的な意味にも取れます。
しかし現在の展開まで考えると、この言葉は単なる悲しみではなく、ベキの生存を示す合図だった可能性が非常に高かったと考えられます。
「皇天親無く惟徳を是輔く」の意味も重要
乃木が続けて口にした、
「皇天親無く惟徳を是輔く」
という言葉も見逃せません。
これは、
天は誰かを特別扱いすることなく、徳のある者を助ける
という意味です。
ここで重要なのは「徳」という言葉。
ベキはテロという大きな罪を犯した人物です。
それでも、孤児を救い、バルカの人々を助けようとしていたという側面もありました。
乃木は父親のすべてを肯定したわけではありません。
しかし、
「父には父なりの正義があった」
ことは理解していたのでしょう。
だからこそ乃木は、ベキを単純な「悪」として処理することもできなかった。
そしてこの言葉は、ベキの運命を暗示するだけでなく、
乃木自身が父親を救うことを選んだ理由
にもつながっているように見えます。
なぜ家を燃やしたのか?
さらに重要なのが、上原の家が燃えたことです。
もし本当にベキを殺したのであれば、わざわざ焼却する必要があるのかという疑問が残ります。
もちろん証拠隠滅という意味では説明できます。
しかし同時に、
「誰が死んだのか分からない状態を作る」
という意味も持ちます。
火災によって遺体の身元確認が困難になれば、ベキが生きていても「死亡した」と処理することができます。
実際、作中では3人の遺体が「煤同然」で発見されたと説明されています。(スポーツニッポン)
この「遺体を視聴者に直接見せない」という演出も重要です。
ドラマでは、主要人物を本当に死亡させる場合、死亡を決定づける映像が描かれることがあります。
ところがベキの場合は、
銃撃
↓
火災
↓
焼けた遺体
↓
死亡したという報告
という間接的な描写にとどまっています。
だからこそ、生存の余地が残されたのです。
野崎は乃木の計画を知っていた?
ここも非常に面白いポイントです。
乃木一人だけでベキの死亡偽装を成立させるのは簡単ではありません。
別班としての任務を遂行しながら、父親を救う。
そのためには、
「ベキを殺した」
という事実を周囲に信じ込ませる必要があります。
そこで重要になるのが野崎です。
野崎は乃木の行動をかなり早い段階から疑っていました。
乃木が何を考えているのかを完全に理解していた可能性もあります。
もし野崎が事情を知っていたのであれば、
乃木がベキを殺したように見せる
↓
火災によって身元確認を困難にする
↓
ベキたちを死亡扱いにする
↓
別班としては任務完了
というシナリオが成立します。
つまり乃木と野崎は、表面上は別々に動いているようでいて、裏では同じ目的に向かっていた可能性があります。
乃木にとって「父を救う」ことは別班としての敗北だったのか?
ここに『VIVANT』の面白さがあります。
一見すると、
「乃木が父親を助けた=別班として失敗した」
ようにも見えます。
しかし、必ずしもそうではありません。
ベキを死亡したことにしてしまえば、テントは事実上崩壊します。
さらにノコルが新たな体制を築くことで、テントは以前とは違う組織へ変わっていく。
つまり乃木は、
父親を殺さずに、父親が作った組織と過去を終わらせる
ことに成功したとも考えられます。
これは単純な「父を助けた」という話ではありません。
ベキ本人ではなく、
ベキが背負っていた過去そのものを終わらせた
とも言えるのです。
ベキにとって乃木に撃たれることは「敗北」ではなかった
もう一つ見逃せないのが、ベキ側の気持ちです。
ノコルは乃木との電話で、
「お父さんは憂助に撃たれて幸せだったはず」
という趣旨の言葉を伝えます。(ENCOUNT)
これは非常に重い言葉です。
ベキが最後に望んでいたのは、敵に殺されることではありません。
自分の息子に撃たれることだった。
つまりベキにとって、乃木に撃たれることは、
「息子に自分の人生を終わらせてもらう」
ことだった可能性があります。
そう考えると、乃木が引き金を引いた瞬間は「父と子の決別」ではありません。
むしろ、
父親が息子に未来を託した瞬間
だったのではないでしょうか。
『VIVANT』というタイトルにも残る意味
そして最後に、タイトルそのものにも注目です。
「VIVANT」はフランス語で「生きている」「生き生きとした」という意味を持ちます。
もちろんタイトルだけでベキの生存を断定することはできません。
しかし、
「死んだように見えた人物が生きている」
という物語との相性は非常に良い。
最終回ではベキだけではなく、バトラカやピヨについても生死が明確に描かれませんでした。
だからこそ放送当時、
「VIVANT=生きている」
というタイトルそのものが伏線なのではないかという考察も生まれました。(ENCOUNT)
ベキ生存説の本当の意味は「父子の再生」
ベキが生きているかどうかだけを考えると、
「死亡確認されていないから生きている」
という単純な考察になってしまいます。
しかし『VIVANT』最終回の本質は、そこではありません。
乃木は父親を殺すことで任務を完遂したように見せながら、実際には父親の命を救った。
ベキは自分の息子に撃たれることで、これまで背負ってきた人生を終わらせた。
ノコルは兄・乃木との関係を受け入れ、父親の後を継ぐ。
そしてテントという組織も、新しい形へと変わっていく。
つまり最終回で描かれたのは、
「父親が死ぬ物語」ではなく、「父親の時代が終わる物語」
だったのではないでしょうか。
ベキ本人が生き残ることで、乃木との親子関係も完全には断ち切られません。
むしろ、これまで「父を追いかける息子」だった乃木が、
これからは「父とは違う生き方を選ぶ息子」へ変わっていく。
そのための“死んだことにする”という選択だったと考えると、最終回の意味が大きく変わってきます。
まとめ|乃木が撃ったのは「父」ではなく「ベキの過去」だった
『VIVANT』最終回のベキの銃撃は、単純な親殺しではありません。
乃木には、
・別班として任務を遂行する
・父親を殺さない
・テントを終わらせる
・ベキたちを表舞台から消す
・ノコルに未来を託す
という、いくつもの目的があったと考えられます。
だからこそ「花を手向けるのは、まだ先」という言葉が意味を持ちます。
乃木は父親を完全に失ったわけではない。
ただ、これまでの「ノゴーン・ベキ」という人生を終わらせた。
そう考えると、あの最終回は悲劇ではなく、
乃木とベキ、そしてノコルがそれぞれ新しい人生へ進むための“別れ”
だったのかもしれません。
そして現在、続編でベキの生存が明らかになったことで、あの「まだ先」という一言は、単なる意味深な台詞ではなく、乃木が父の生存を守るために残した重要なメッセージだったと改めて感じさせられます。


